私が病気になったきっかけ 統合失調症編

皆さんこんにちは。

千尋です。

 

今回は前回、適応障害になったお話をさせて頂いたんですが、今回は統合失調症になったきっかけをお話したいと思います。

 

【私が病気になったきっかけ 統合失調症編】

私は豚カツ屋さんで販売員をしていましたが、適応障害を発症し、主治医に「今の仕事を辞めない限り、治りませんよ。」と断言され、結局11月20付で豚カツ屋さんを退職しました。

 

その後、まず自分の生活があるので、働き口を探さなくてはと思い、フリーターになり、某シウマイ会社のアルバイトの面接を受けて、無事受かり、正式に働くことになりました。

 

場所は桜木町ワールドポーターズ

そこは比較的暇なお店で、早番一人、遅番一人とほとんどのことを一人でやらなければならなくなってしまい、それも覚悟の上で働いてました。

 

ある日、研修中に、遠くの壁の隙間から男の人がこちらを見てるのに気づきました。

 

誰だろう?気持ち悪いなと思い、店長さんに

「ねぇ、あそこに男の人いる?」

と聞いたら

「えっ?誰もいないよ?」

と言われました。

 

えっ?って思いもう一度そちらの方向を見ると、いるんです。黒い影が立体化した人が。

 

気持ち悪い!と思い、トイレに行くと言ってトイレに行きました。

 

あの時の恐怖は本当に人生の中で一番怖かったです。

 

そしたらトイレに入ってると何故か元彼の声が聞こえるんです。

 

「見ーつけた!」

最初の言葉はそれでした。

 

えっ!?って思った途端、

「お前何で生きてんの?」「死ね!」「消えろ!」「お前なんか生きてたって意味ないんだよ!」

まるで罵声を浴びてるように聞こえました。

 

パニックになった私は過呼吸になり、トイレの外で苦しんでるところをワールドポーターズの警備員さんと職員さんが助けてくれました。

 

取り敢えず救急車が来て、救急隊員の方が

「何か病気持ってる?」と優しく聞いてくださり、適応障害を患ってることを伝えました。

 

前日何かあった?と聞かれ、「全く寝れなかった」と過呼吸になりながら伝えました。

 

そしたら、取り敢えず病院に行っても精神科に緊急で行くしか無いから、保健室か休める場所はありますか?と職員さんに聞いたところ、保健室があるということで、病院には行かず、保健室で休むことになりました。

 

私はあんまり覚えてないんですが、車イスで運びそのままベッドで寝かされたようです。

 

女性の職員さんが寝かしつけてくださり、一時間程仮眠をとったと言っていました。

 

急遽家に連絡して、弟が迎えに来てくれることになり、その日は一緒に帰ることになりました。

 

警備員さんや職員さん、お店の店長さん達に謝罪し、弟と一緒に帰ってきました。

 

弟には話しました。

突然立体化きた黒い影を見たこと、元彼の声で死ね!と聞こえたこと。

弟は「それ、幻聴じゃない?」

と言って、病院にすぐに行った方がいいと言われました。

 

次の日に急遽当時受診してた大学病院に行きました。

 

先生に前日起こったことを話したら

「重度の統合失調症の疑いがあります。」

そう言われました。

 

統合失調症

聞いたことがありませんでした。

また病名が増えた。。。

そのことがショックで、帰りのバスで泣いていたのを覚えています。

 

やっと環境を変えて、新しく一歩踏み出したところだったのに。。。

そう思うと悔しくて悔しくて。。。

 

お母さんにも診断書を見せました。

お母さんは「怖い思いしたんだね。大丈夫?」

と心配してくれました。

 

次の日会社のマネージャーさんと面接することになり、診断書を提出しました。

 

マネージャーさんは「病気を持ってるなら、面接の時に言ってくれれば良かったのに。」

と優しく言ってくれました。

 

申し訳ありません。と謝罪しました。

 

取り敢えずゆっくりでいいから、出来ることを少しずつやっていくことになりました。

 

しかし、そこからが地獄の連続でした。

 

まず統合失調症の薬を飲み始め、薬の副作用がより強く出るようになり、職場に行くとき意識が朦朧の中でふらふら状態で行くはめになりました。

 

次に吐き気。本当に気持ち悪くて、職場に着くと必ずトイレで吐いてしまってました。

 

それと目眩と頭痛。

頭がガンガンに割れるような痛み。

ぐるぐる回るような目眩が収まりませんでした。

 

あとは眠気。

とにかく眠い。

地下鉄の中でもふっと意識が飛ぶように寝てしまい、気づいたら乗り過ごしてたことも何回もあります。

 

それでも頑張らなきゃ。。。

生活かかってるし。

両親に迷惑かけられない。

その一心で仕事をしてました。

 

ですが、1月の終わり。

ドクターストップがとうとう出てしまいました。

取り敢えず2月いっぱい休むことになりましたが、これ以上迷惑かけられないと思い、3月の始めで退職することになってしまいました。

 

その後は職を転々とし、でも、薬が合わないのか、副作用で身体が動かなくなり、また6月の終わり二度目のドクターストップ。

 

当時古本の仕分けの仕事をしていて、やっと仕事にも慣れてきたところで、ドクターストップが出てしまい、辞めざるをえない状態になりました。

 

そこで母親とまた大学病院に受診したところ、主治医の先生に

・薬の量を増やして仕事をする。

・薬の量はそのままで、仕事を辞める。

このどちらかを選べと言われました。

当時、治験という形で入院を言われていたのですが、リストカットしてたのが原因で、入院は受け入れられませんとハッキリと言われてしまい、結局仕事を辞めるということで病院を後にしました。

 

もう泣きました。めっちゃ泣きました。

こんなに頑張ってるのに、何で身体は言うこと聴いてくれないの!って自分に腹が立っていました。

 

それと病院の先生があまりに対応が酷いと思いました。

 

母親が病院を変えようと言って、以前、子供の頃気管支喘息で通ってた小児科の先生に助けを求めました。

 

そこの先生は、いろんな病院の先生と顔見知りで、旦那さんもお医者さんなので、すぐに事情を説明しました。

 

そしたら、「大丈夫。私に任せて。」

と言い、横浜市大の医療センターの病院に連絡を入れてくださいました。

 

そして、小児科の先生の紹介状と大学病院の紹介状を持って、横浜市大の大学病院に行きました。

 

でも私はまだそこでも不安でいっぱいでした。

また酷い先生なんじゃないかとか、色々考えていました。

 

そしたらいざ診察となったとき、男性の先生だったのですが、親身に話を聞いてくださって、一通り話終えると、

「今までよく頑張ったね。偉いよ。副作用に苦しみながら、一生懸命働いたんだね。もう無理して身体壊してまで働かなくていいんだよ。今はゆっくり休もう。休めるようになれば、身体もちゃんと言うこと聴いてくれるから。大丈夫。」

と言ってくださいました。

 

何か安心して涙が止まりませんでした。

 

取り敢えず今飲んでる薬が合ってないから、薬を変えましょうと言われ、自分の身体に合う薬を見つけるまで色んな薬を試しました。

 

そしたら、4回目の診察でやっと自分に合う薬が見つかり、副作用が嘘のように無くなりました。

 

本当に驚きました。

あれだけ出てた副作用がスパッと無くなったのです。

 

朝普通に目覚ましで起きられて、あれ?私起きれた!って思い、嬉しかったのを覚えてます。

 

先生に副作用が出なくなったことを伝えたら、「良かったね(^^)」と笑顔で言ってくださいました。

 

それから、今の病院に転院になり、そこの先生も話をよく聞いてくださり、今はまだ働けませんが、副作用は出なくなりました。

 

今薬で副作用に悩まされてる皆さん。

多分それは自分の身体に薬が合ってない証拠なので、薬を変えてもらうか、変えてもらえなければ、病院を変えるのも一つの方法だと思います。

 

私はここまで来るのに、6年はかかっちゃいましたが、でも病院を変えて良かったと思っています。

 

今は歌をYouTubeでカバーさせて頂きながら、デイケアでバンド活動もしています。

 

とにかく今は好きなことをして生きてるのが楽しいです。

 

もう少し意識障害や頭痛などが収まったら就労支援にも行くつもりです。

 

障害者枠でいずれかは就職したいと思っています。

 

何で自分だけこんな病気になっちゃったんだろうって思うかもしれませんが、落ち込むこともあるかもしれませんが、より強い人間になれると思います。

 

私がそうですから。

だから生きるのを諦めないでください。

 

必ず未来はあります。

必ずよくなる日はあります。

 

マイペースにちょっとずつ前に進みましょう。

 

最後まで読んでくださりありがとうございました。